トピックス

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2020 Autumn

この記事は2020年11月発行の「JBA JOURNAL」に掲載されたものです。内容及びプロフィール等は掲載当時の情報となります。

真のプロフェッショナルとして
歩んでいくために

杉山愛氏、脇一郎

杉山愛氏Ai Sugiyama

元プロテニスプレーヤー
4歳でラケットを握り、15 歳で日本人初の世界ジュニアランキング1 位に輝く。17 歳でプロに転向し、34 歳まで17 年間のプロツアーを転戦。グランドスラムでは女子ダブルスで3度の優勝と混合ダブルスでも優勝を経験し、グランドスラムのシングルス連続出場62 回は女子歴代1位の記録。WT A ツアー最高世界ランクシングルス8位、ダブルス1位。2009 年10 月引退。多方面で活躍中。

脇一郎Ichiro Waki

JBAグループ グループCEO
公認会計士

「考え方の改革」で気づきを得る

-脇  杉山さんは4歳でテニスを始められ、素晴らしい成果を残されています。実は私も小学校5年からテニスを始め、真面目に取り組んでいたのですが、モチベーション維持に難しさを感じ高2で諦めました。杉山さんはいかにしてモチベーションを保たれてきたのでしょうか。

-杉山  私は勝てない時期はそれなりにあっても、プロ前半までは壁を感じることはありませんでした。初めて人生で壁にぶち当たり、スランプを経験したのは、プロになって8年経った25歳のときでした。
当時ダブルスは絶好調で全米オープンで優勝してランキング1位になった時期に、シングルスでは絶不調に陥ったのです。シングルスにファーストプライオリティを置いていた私は、どれだけダブルスで活躍できてもシングルスで勝てないと気持ちが沈み、ボールが怖くなり、「テニスを辞めたい」と初めて思いました。本気で辞めようと思って相談した母から、「この道をプロとして選んで自分のやるべきことをすべてやり切れたの?」と問われ、改めて自問してみると答えは「やりきれていない」でした。プロになり切れていなかったと気づかされると同時に、「この道を選んだなら全うしなければ」と思いました。
そうは言っても、あまりにテニスの状態が悪く何から手を付けていいかわかりません。母に相談すると、「やるべきことが見える」。という力強い言葉をもらい、コーチになってもらい34歳で引退するまで共に歩んできました。最初は暗闇の中、手を引かれながら歩いているようでしたが、そのうち変えなければならないことが見えてきました。変えるのはとても怖いけれど、変えなければ上がっていけない。いいと思うものはどんどん取り入れ、変えていきました。
結果的に、変えてよかったと思うことが5つありました。

1.「見える」という指導者に会えたこと
2.「基本に戻って」やり直したこと
3.体格的に恵まれてないので100%身体が使い切れるよう「肉体改造」したこと
4.「プランニング」
5.「考え方の改革」

この「考え方の改革」が最も大きかった。精神的成長が大事だと痛感してから、オンコートだけでなく生活の場でも様々なことに気づかされ、成長できたと思います。

“why”の追求で自分磨きの重要性に気づく

-脇   グランドスラムで3回も優勝するのは凄いことです。テニスと会計は全く別物に見えますが、プロフェショナルの世界は共通する部分があると思っています。プロフェショナルとしての心がけをお聞かせください。

-杉山  17歳でプロになったとき、なぜプロになるかを考えました。アマチュアは自分の好きなことに100%エネルギーを注いで完全燃焼すれば成功かもしれません。プロは自分のプレーをお金を払って見に来ていただく。17歳でプロになったとき、なぜプロになるかを考えました。アマチュアは自分の好きなことに100%エネルギーを注いで完全燃焼すれば成功かもしれません。プロは自分のプレーをお金を払って見に来ていただく。
25歳でスランプに陥った時、「なぜ自分はプロテニスプレーヤーをやっているのだろう」とベースに戻って改めて考えました。そこで「人に元気を与えたい」という大きな柱に加えて、テニスという仕事を通して「自分とを向きあい、自分を磨いていく」ことが大事だと気がつきました。以来、この2つをベースとしてきました。そうした柱をもつことが重要だと思います。
どんな仕事でも、「なぜこの仕事をやるか」という“why”を追求していくと、自分のスタンスが見つかりやすいと思っています。自分らしく、その方だからできる部分を追求していくことができるのではないでしょうか。

-脇  プロは自分磨きが大事ですね。それは我々の仕事にも共通する部分だと思います。引退後のプランはお持ちだったのですか。

-杉山  引退したとき、漠然とトレーニングも見られる指導者になりたいと思いましたが、最初から確固としたビジョンがあったわけではありません。
テニスでは、「世界で活躍できるプロテニスプレーヤーになる」という大きな夢があり、短期、中期、長期プランにブレイクダウンプロセスを考えるのが楽しかった。引退後は、そうした夢がないことが心地悪く、まずやりたいことをウイッシュリストに100個書き出しました。すぐに大きな夢は見つからないので、プライベートを大事にしながら「10年かけて自分の天職と思える仕事を見つければいい」と自分に時間の猶予を与えたら、ふっと力が抜けて楽になりました。
本当にやりたいことが見つかるまで5年かかりました。その間、指導者になるために順天堂大学の大学院に通いスポーツマジジメントも学びました。多様な角度から自分の人生を俯瞰で見たとき、本当に歩みたい道を進んでいるかが見えてくるように思います。
自分にとってはテニスが軸で、テニスがあったからこそ、いろいろな方との出会いがあり、広がりがあると思っています。今自分がここにいるのもテニスのおかげなので、テニスには一生携わっていきたい。2021年には湘南をベースに後進育成に力を入れていきたいと思っています。

-脇  私は高2でテニスのプロの道は諦めましたが、何かを極めるというメンタリティは忘れてなかったという気持ちはあります。違う世界で頑張ってみようという気持ちもあって、私は公認会計士として、監査とは少し異なるもう少し尖ったところで極めていきたいと思ってきました。メンタリティの部分など、参考になるお話がたくさんありました。

-杉山   JBA様にはジュニアの国際大会をスポンサードしていただくなどお世話になっています。今日のお話に相通じるものを感じていただき、少しでもプラスになれば嬉しいです。私も皆さんを応援していますので頑張っていただきたいです。

-脇  どうもありがとうございました。